すき焼き ものがたり

牛肉と文明開化~牛肉を喰わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)~

日本人はいつから牛肉を食べるようになったのでしょう。
一般には明治維新以降のようです。明治維新になると日本の指導者はにわかに西洋文明をとり入れ、文明開化の名のもとに旧来の習慣を破っていきました。福沢諭吉ら文化人は、長年仏教の戒律によって忌み嫌われてきた食肉を大いに勧めるキャンペーンを張り、慶應義塾の学生たちは彼らに感化されてさかんに牛鍋屋に通ったそうです。

明治5年の正月24日に天皇が初めて牛肉なるものを召し上がり、これが大ニュースとして世に伝えられました。ここに至って牛肉はハイカラな人ばかりでなく一般庶民にも文明開化の象徴として人気を博するようになりました。その人気の一端には牛肉を醤油や砂糖で煮る牛鍋というきわめて日本的な調理法が庶民の口にぴったり合ったということもありました。

当時の牛鍋屋の流行はすさまじいもので、西洋料理店が日本橋、京橋、神田界隈に限られていたのに対して牛鍋屋は浅草を中心に下町中に広まり、明治10年には東京府下に488軒もの牛鍋屋がありました。仮名垣魯文の『安愚楽鍋』には大工や左官、人力車夫、書生、芸奴らが「牛鍋を食わねば開化不進奴」などと云い合いながら流行の先端をいく料理を得意満面に食べる、牛鍋屋大繁盛の様子が描かれています。

明治の東京で牛鍋と呼ばれてきた料理は、関東大震災後、鋤の刃上で鳥や獣の肉を焼いたことに由来する「すきやき」という関西風の呼び名に変り、全国に広まっていきました。経済学者の河上肇は大正初期の留学中、パリの日本人画家宅で島崎藤村と一緒にすき焼きを御馳走になったことをのちのちまで思い出しています。スキヤキは当時からすでに懐かしい薫りに満ちた日本オリジナルの味として異国に暮らす日本人たちからも愛されていたのでした。